園だより
2023.10.19
おやじギャグと心配性の関係?
昨日、過干渉・過保護・放任主義について園長の考えを書かせていただきました。
あくまで私の見解ですので、「へぇ~」と参考程度にお読みいただければ幸いです。
ところで、過干渉・過保護って、ある意味では「心配性」とも言えるのかな、と思ったりもしました。
今朝、自分の書いたことを思い返していたら、面白い?ことを思いついたので、余談として付け加えておきたいと思います。
私事ですが、最近「おやじギャグ」が増えてきたなぁ、と(笑)
年を重ねると、お人によっては周りの空気などお構いなしにおやじギャグを言ってしまう(園長です)ことの理由のひとつとして、あるテレビ番組で「脳のブレーキが効かなくなるから」と紹介されていました。
そうか、園長は脳のブレーキが効かなくなっているのか(笑)
そこをグッと我慢することができれば、ブレーキを踏むことができれば、周りの皆さんに尊敬していただけるのかも知れませんが…それがなかなかに困難で(笑)
心配性(過干渉・過保護)も、ちょっと似ているところ、ありませんか?
口出し過ぎるのは良くないよなぁと分かってはいるものの、心配でついつい…みたいな。
わかっちゃいるけどやめられねぇ♪あ、ほれ、すいすいすーだららったすらすらすいすいすい~♪(笑)
心配で口出しちゃうのも、最初は「心配だから」から始まり。
でも、毎日心配しているうちに癖みたいになってしまって、ブレーキが効かない状態になっていくような気がします。
怒ることもそうですよね。
怒ることが癖みたいになる時期って、ありませんか?
後でよくよく考えてみたら、そんなに怒ることでもなかったなぁ、とか。
なんでこんなに怒っているんだろう、とか。
沸点が低くなると言いますか。
(ちなみに、虐待も、することに慣れると癖みたいになるから、ブレーキが効かない状態になるのでは…と思ったりもします)
感情のブレーキ、感情のコントロールって、どうすればうまくできるのでしょうか。
教育や宗教に携わっている者ががこんなこと言ったら怒られるかも知れませんが(汗)
何せ、一番難しいのは自分自身の感情コントロールだったりしますよね。
話を戻して…そうなんです。
過干渉・過保護って言うとちょっと難しい感じがするけれど、要は心配なんですよね。
だって、大切な我が子のことですもの。
悲しい思いさせたくない。
危険な目に遭わせたくない。
失敗させたくない。
親として、心配するのは当たり前じゃないですか。
自分が失敗したり苦しい思いをしたからこそ、大切な我が子に同じようなつらい思いをさせたくない。
それも大切な人の心でしょう。
ただ、やはり、我々人間(生命全般?)は、失敗から学ぶことで進化してきているわけですよね。
「心配だけど、でも、失敗する機会を奪わない」
子どもの成長に寄り添うには、周りの大人(親・先生)がこの感覚を持つことが必要なのかも知れませんね。
子どもが成長するにあたっては、失敗の経験がとっても大切な要素となるのだと思います。
大人にも同じことが言えるかな。
また、豊かな世の中、いつも満たされている、自分の思い通りになっていると、自分の思い通りにならない状況と出会ったときに、どうすれば良いか分からず(思い通りにならないという経験がないので)パニックになる、感情をコントロールできずに「キレる」こともありますね。
結論。
失敗や、思い通りにならない経験、子どもたちにはたくさんしてほしいと思います。
失敗しても責めることなく、子どもが課題に向かえるようにする。
そんな環境づくり、ムードづくりをしていきたいですね。
子どもたちが、安心して失敗できるように。
以下、自問自答。
そのときに、口や手を出さずにいられるか…うーん、難しいけれど、チャレンジしてみませんか?
うーん。
自信ないけど(汗)
でも、やってみよう。