園だより
2023.12.05
今日の給食(12/5)
久々の「今日の給食」です。
イカフライ
焼きぎょうざ
ポテトフライ
ほうれん草和え
わかめごはん(ほっかほか♪)
パイナップル
さて、ここからお得意の(笑)
ちょっと長くなります。
私は子どもの頃から大の偏食家でしたので、苦手な食材を食べられずに困っている子の気持ちが分からなくもない、です。
(幼稚園の子どもたちのおかげで偏食は無くなったものの、だからと言って苦手な食材は苦手なままだったりします)
子どもの頃、給食の時間は本当につらかった。
毎朝、学校に着くと、まず始めに献立表を確認し、憂鬱な一日を過ごしたものです。
苦手な食材を食べると体が拒否反応を起こし、嘔吐く始末。
お友だちの前で嘔吐くの、恥ずかしい、バカにされる。
先生から苦手なものを「食べろ」「食べないと帰れない」と言われる恐怖とプレッシャー。
本当にしんどかったです。
園の子どもたちに、同じような思いは絶対にさせたくない。
でも、だからと言って、最初から「食べなくてもいいよ」とは言いたくない。
「食べる」ということは我々が生きていく上で不可欠なことであり、いのちに「生きる希望」を与えるのは、精神的な要素よりも先に「食べる」という行為ではないだろうか、とも思うからです。
苦手なものを克服してほしいという気持ちではなく。
苦手なものとの「出会い」もまた大切にしてほしい、とでも言いましょうか。
苦手な存在もまた、生きる希望を与えてくれる存在だったりするので。
そこで、じゃぁ何がそんなに恐怖でプレッシャーなのか、と考えてみました。
それは、苦手な食材を食べることよりも「食べられない=悪い」という雰囲気に対して、ではないでしょうか。
好き嫌いの多い子が、まるで悪者のように扱われるムード。
「もったいない、せっかく作ってもらったのに、世界には食べられない子がいるのに…」などと責められて、「普段贅沢しているから、好き嫌いをするんだ」なととバカにされるムード。
そして、子どもは深い罪悪感に苛まれる、わけです。
怖くて怖くてたまらなくなる、のです。
では、そうならないために、どうすれば良いのか。
その一つとして…
「嫌いって言ってもいいんだ」という雰囲気、「嫌い」とはっきり言っても誰にも怒られない、責められない、恥ずかしい思いをしない、そんなムード。
自分の思いを、胸を張って表明できる、そんな雰囲気。
を作り出すことではないか、と。
だって、誰にでもありますよ、苦手なこと。
そう思ったので、昼食時、年長さんの教室に行って、献立表を見ながら子どもたちに話してみました。
「今日の献立は~...まず、イカフライ!では手を上げて!好きなお友だち!はいっ!嫌いなお友だち!はいっ!」
「はい、先生はイカフライ苦手です!でも、今日は少しチャレンジしてみたいと思いまーす!チャレンジできる子はしてみて~♪」
のような、明るく楽しい雰囲気で。
イカフライ好きな子はモリモリと、苦手な子は少しずつ、自分が食べられるだけ。
そして手を合わせて、いただきます!ごちそうさま!と。
子どもたち、明るく食事を楽しんでいました。
もちろんそれは、日頃から担任が明るい雰囲気づくりをしていることが大きな要因ですが、さらにこういったムードが子どもたちの助けになればと、そういう思いです。
偏食は責めるのではなく、明るく楽しい雰囲気で。
そして、食べられた日も食べられなかった日も、最後は必ず手を合わせて「ごちそうさま」
どうか、すべての子どもたちにとって、食事が「しんどい」ことではなく、「生きる希望」となりますように。