園だより
2024.01.04
「暇」について②
【「暇」や「退屈な時間」こそが、子どもを育むのだ】
暇について、今度は子どもたちのことを。
年末年始の「暇」は、私にたくさんの考える時間を与えてくれたのです(笑)
まずは初めに一言。
「子どもたちに、もっと暇を!」
現代の子どもたちに必要なのは、「暇」「退屈な時間」ではないか、という提案です(笑)
今の社会は、とにかく行事・イベントが多いような気がしています。
そして、幼稚園(特に私立幼稚園)も行事・イベントが多い。
それそのものを良い悪いと言いたいのではなく、ただ乳幼児期に関して言えば、私としては「園生活の先に行事・イベントがある」のが望ましく、「行事・イベントのために園生活がある」状況というのは望ましくない…と考えます。
というのは、乳幼児期の成長に不可欠なのは「子ども自らによる発見」であったり「主体的な活動」、つまり子ども自身が「やりたい!」ことを発見し実践することであって、「大人が用意した課題やノルマを達成する」のは、成長過程としてはもう少し後でも遅くないのでは…と考えるからです。
現に、我が人生を振り返ってみれば、暇・退屈によって獲得したことが多いように思う。
大人から用意されたものは、こなすことで精一杯と言いますか、その後、時とともにどこかへ…なーんて言ったら、言い過ぎでしょうか。
少なくとも、自ら発見したことの方が、しっかり血となり骨となり肉となっているように思います。
行事やイベントは、子どもの成長過程(あくまで結果でなく過程)を表現したり、保護者の皆さんに見ていただいたり、そういう意味では必要な時間ですが、それは「参観」でも可能です。
余談ですが、これからの時代、自由に参観できたり、保護者さん参加型の保育というのは面白いですね。
ただ、私が大切にしたいのは、いかに大人が子どもの世界に「介入しないか」、大人が黙っていられるか、見守りに徹することができるか、なので、その辺りとのバランスが肝と言えると思いますが。
創造力も、想像力も、暇な時間から生まれるような気がするのですが、いかがでしょうか。
「退屈」こそが、創造力、想像力を育むのではないか。
そう思います。
もっと、子どもたちと空を眺める時間がほしい。
じっくり考えたり、アイデアを出し合ったりしながら作ったり描いたりする時間がほしい。
「なにもすることないね~」「なにする~?」と言い合える時間がほしい。
大人に「なにかしてよ~」ではなく、子ども自身が「これしよーっと」と自由に決められる環境を作りたい。
などなど。
などなど。
ぜんぶぜんぶぜーんぶ。
暇があれば子どもたちはもっともっともっと、自由自在に羽ばたいていけるような気がするのですが。
子どもを育てるのは「暇・退屈」だ。
そんなこと言ったら、専門家の方に怒られるかな(汗)