園だより
2024.08.28
あっという間に?
あっという間に。
あっという間に?
夏休みが終わり、いよいよ二学期が始まります。
今日の新聞に、「二学期に学校へ行きにくい子」に親はどう対応するのかということに関する記事が載っていました。
我が子に「学校に行きたくない」と言われたら、ドキッとしますね。
親として、どんな言葉を返そうか迷います。
行かないと、どんどん行きにくくなるよ。
勉強遅れちゃうよ。
行けばきっと楽しいよ。
行きなさい!
そんなワガママ許しません!
行けば大丈夫!
行かなくてもいいよ。
がんばらなくていいんだよ。
無理しなくて大丈夫。
あなたの思うようにしなさい。
…などなど。
正解が分からない。
どの言葉を選んでも、本当にそれでいいのか不安から逃れることができない。
分からないから「ひとまず」今日はまぁ休ませよう。
そのうち何とかなるだろう。
時間が解決してくれるだろう。
クラスが替わったら何とかなるだろう。
学校を変えたら何とかなるだろう。
…などなど。
ますます正解が分からない。
さて、どうするのか。
どうすればいいのか。
私は、大切なことは「二つ」だと思います。
「子どもの問題ではなく、親が自らの問題として考えること」「既存のパターンで考えないこと」
私が、生きていく上で一番大切にしていることはロック…じゃなかった(汗)、「他人事から自分事へ」です。
どんな物事も、他人事と思っているうちは何も見えない、何も感じない、何も掴めない。
自らの行動につながらない。
自分事と思えたとき、今までに見えなかったことが少しずつ見えるようになる。
と言ってすぐに掴めるわけではないにせよ、見え方というか、見る角度というか、意識が変わる。
「正解が分かる」のではなく。
むしろ「正解か間違いか」ではない角度が生まれてくる。
心が動く、体が動く。
学校へ行きたくないのは子どもですが、我が子に「何と言うか」は親です。
それを「子どもの問題」と考えているうちは、覚悟が決まらないんです。
正解か間違いかじゃない。
親である覚悟があるか、そうでないか、です。
覚悟を決めると、覚悟が決まると、他人事は自分事になる。
自分事になると「何と言うか」は、それほど問題ではなくなるような気がします。
精いっぱい悩んで迷って考えて考えて、その思いを、真っすぐに、丁寧に、我が子に伝えるだけです。
すぐに解決しようとせず、結論を求めず、大切な思いを時間をかけて大切な我が子へ伝える。
それができたら、学校へ行くのかどうかよりももっと大切なことが、我が子との間に生まれるような気がします。
「既存のパターンで考えない」とは、人にパターンはあるようでない、ないようである、でもやっぱり、我が子はこの世にたった一人しかいないんです。
まったく同じパターンなんて存在しない。
だから、既存のパターンを参考にしないことです。
何も参考にしなくていいんです。
ただ、目の前にいる我が子をよく見て、我が子の話をじっくり聞いて、我が子の心に手を当てて、時間をかけて一緒に考えていけばいい。
我が子をよーく見るんです。
耳を澄ますんです。
大切なことは、結論を急いでも何もいいことなんてありません。
世間体とか、体裁とか、そんなことは我が子の幸せとは何一つ関係ないんです。
世間体や体裁が我が子を幸せにしてくれるわけじゃない。
正解を出すために考えるんじゃなくて。
ただただ、我が子の幸せを願う。
そのために考える。
これは子どもの「がんばりどころ」なんかではなくて、親の「覚悟の機会」だと思いますが、いかがでしょうか?
我が子の幸せは、自分を信頼してくれる親の存在です。
親から信頼されて育つなんて、何て幸せなことだろうかと思います。
子どもが育つということにおいて、他に必要なことなんてありますか?
蛇足ですが、ロックも「他人事から自分事へ」ですよ。
もういいか(笑)