園だより
2024.10.28
生きる力
運動会の閉会式にて、保護者の皆さまへ「親として言いたいことがあったとしても、その気持ちはいったん収めて、今日はとにかく”本当によくがんばったね!最高だったよ!”とだけ声をかけてあげてほしい」とお願いしました。
「あなたはこの世界にたった一人しかいない、大切な大切な子どもだよ」と、伝えてほしいと。
後日お話を聞いたらたくさんの方が聞き入れてくださったようで、本当に感謝しています。
ありがとうございました。
相手を叱り、反省を促し、課題を与えて、変わることを要求する。
私たち大人は、特に子どもに対してそういう行動を取ってしまいがちです。
人は「反省」によって変わるのでしょうか。
では、果たしてそこに「信頼」はあるのでしょうか。
「信頼」は結果によって成されるものではなく、物事が始まる前にあるものだと思います。
例えば、「私の思う結果をあなたが出せたから、あなたを信頼する」のではなく、
「私があなたを信頼する」ところからスタートするということ。
主体や責任は「あなた」ではなく、「私」にあるということ。
私たち人間は、自分以外の誰かを変えることはできない。
それが例え我が子であっても。
「変えられる」という思いは傲慢であると、私は常々そう思っています。
どれだけ相手を変えようと言葉をかけても、叱っても、怒っても、それによって変わることはないでしょう。
なぜなら、「自分」の行動を変えるのは自分自身しかいないからです。
そもそも、「私好み」に相手が変わる必要なんてどこにもないのです。
私が相手に反省を促し、相手が変わることを期待する。
では、果たしてそこに信頼はあったのでしょうか。
相手に変わることを期待するばかりで、私はそれに値する信頼を相手に寄せていたのでしょうか。
「この人のために、変わりたい」と思わせるほどの信頼を。
「信頼する」
「相手の思いを受け取り、受け入れ、そして頷く」
その上で、「よくやったね」「がんばったね」と褒める、認める。
結果によって認めるのではなく、
どのような結果であろうと、私があなたを信頼しているという事実が変わることはないと宣言するということです。
条件付きではなく、何があろうと、あなたに敬意を表するということです。
意欲が湧きますね。
例え自信がなくても、前進するパワーが生まれます。
もう一回チャレンジしてみようという気持ちが生まれる。
そしてその思い出は、ひょっとしたら10年後、20年後も、ひょっとしたら生涯を通して、その人の背中を押し、支えとなるかも知れない。
これが、我々の目指す「生きる力の育み」です。
もし子どもが悪いことをしたなら大いに叱れば良いと思います。
それが悪いことであると伝えればいい。
でもそれも、「信頼する」「相手の思いを受け取り、受け入れ、そして頷く」ことが先にあってはじめて、子どもに伝わることでしょう。
それは子どものワガママを許すということではなく、責任を持って子どもの思いを受け取る、ということです。
人は「反省」によって変わることはない。
人は「信頼」によって、自ら変わろうとするのでしょう。
だらだらと、長くなりました。
それにしても、素晴らしい運動会だったなぁ。