園だより
2024.11.25
思い込みと思いやり
先日、一身田小学校の生徒さんたちが幼稚園を訪ねてくださったんですね。
授業の一環ということで。
中には卒園児さんもいて。
嬉しいですね。
こうして来てくれること、お顔を見たり、在園当時とはまた違った目線でお話できたりすることが嬉しい。
そこで、私は改めて自問自答するのです。
高田幼稚園はこの子たちに、十分なことをできたのか?と。
この子たちとの時間をどれだけ大切にすることができたのか?と。
この幼稚園から、子どもたちや保護者の皆さんへ何を伝えられるだろう?
私は何を伝えたいのだろう?
毎日、自問自答しています。
ちょっと…個人的な、私の偏屈さを露呈するようで恥ずかしいですが、話を聞いてください。
私がお寺の仕事でよくお世話になる施設がありまして。
そこのスタッフさんたちの仕事の仕方がね、どうしようもなく嫌で。
亡くなられた方がいて、そのご遺族がいて。
丁寧に接してほしい、温かく接してほしい、苦しくつらい気持ちを大切に受け止めてほしい。
私はそれを求めるのですが。
でも、段取りばかり気にしているんです。
お位牌やお写真を片手で受け取るんです。
一つひとつの声かけや所作が冷たく感じるんです。
ご遺族の気持ちよりも、仕事の都合を優先しているような…。
きっと私がそういう目で見ているから、私の「正義」を通してそのスタッフさんたちを見ているから、そう見えるのでしょうね。
つまり、私の思い込みが原因でしょう。
その思い込みにずーっと囚われてきて、もう相手を理解しようとする気持ちさえ失っていた私なのです。
これはもう、その施設の管理者へ苦言の一つでも…と考えていました。
そんなこんなで、つい昨日のことです。
私、目の不自由な方お二人と一緒に、その施設を利用しましてね。
あぁ、今回も…と不安に思っていたら、意外なことにとても丁寧に接してくださいまして。
私が気がつかないところまで、丁寧に、そして自然に。
そのスタッフさんの対応を見ていたら、何だかとっても自分が恥ずかしくなって。
きっと今までも、そういった細やかな対応をしてくださっていたのでしょうね。
でも、組織の一員としてルールに従わなくてはならないこともある。
スタッフさん一人ひとりに思いはあるのでしょうが、いつでもその思い通りに動けるわけではないですからね。
その中で、たったひとつの場面だけを大げさに取り上げてみては、相手を吊るし上げる私の心。
私が相手を「思い込み」「色眼鏡」で見ているから、本当のことが見えていなかったのでしょう。
スタッフさんたちの思いやりが、まったく見えていなかった。
結局、私は自分の思い通りに動く相手を「善い」とし、そうでない相手を「悪い」としているのでしょうね。
私の言う善し悪しなんてものは、全部全部私の勝手な都合なのだなぁと、改めて思い知りました。
分かっていたつもりだったのですが。
私はやっぱり、少しも分かっていなかった。
とっても恥ずかしくて、そのスタッフさんが後ろを向いた隙にこっそり頭を下げた私なのでした。
というわけで、今日も自問自答する私なのです…。