園だより
2025.01.31
算数は何のため…
小学校中学校あたりになると、算数・数学苦手な私はよくこう思ったものです。
「こんな勉強、いったい何の役に立つのよ…」
お金の計算できたらいいじゃない、時計読めたらいいじゃない…。
幼稚園に勤務するまで「物を直す」ことが苦手でした。
でも、何かが壊れる度に「園長先生~」と依頼があるので、最初は「仕方なく」直していたわけです。
でもしているうちに直すコツが分かってきたんですね。
それは「構造をよく見る」「構造を理解しようとする」「構造を見極める」ということ。
どの部品が、どちらの方向に、どんな動きをして、それがどんな役割をしているのか。
これが分かると、物を直すことができると気づいたのです。
幼稚園の子どもたちに何かを伝えるとき。
方法や技術を伝えるとき。
まずは、子どもたちが何をしたいと思っているのか。
なぜそれをするのか、言うのか。
何を訴え、何を求めているのか。
どんなことなら楽しいと思えるのか。
何が嫌なのか、不安なのか。
どんな方法なら、意欲的にしたいと思えるのか。
安心するのか。
普段から子どもたち一人ひとりをよく見ていると、そういった「構造」の部分が見えてくる気がするのです。
すべてを理解することはできませんが、よく見ることで理解を深めることはできる。
教育・保育にも、子育てにも、大きく分けると二つの視点があります。
大人の視点と、子どもの視点です。
「大人が求めているのか」
「子どもが求めているのか」
どちらが正解か否か、という話ではありません。
ただ「子どもの求め」を「大人の求め」で解釈しようとしても、構造は見えて来ない。
お互いの思いがずれているわけですから、相容れないまま時間とエネルギーだけが消費されてしまいます。
物を直すとき、私たちは物の法則と理屈に従って直しています。
私が直したいように直しているのではなく、物の元の状態をイメージしながら直しているのです。
私の思いではなく、あくまで物の形を復元しています。
そういった客観的な視点でないと、物を直すことはできない。
同じように、子どものことを考えるとき、子どもに何かを獲得してほしいと思うとき、大人の思いを一方的にぶつけるのではなく、まずは子どもをよく見るということ。
子どもの側に立つということ。
その構造への理解に努めること。
「させる」ことを目的とせず、「大人の言うことを聞く」ことを目的とせず、
「自らしたい」という意欲はその子のどこから湧き出てきているのかを見極めること。
そして、どうやったらその「意欲ボタン」を押せるのかを考えること。
「構造をよく見る」「構造を理解しようとする」「構造を見極める」
これってきっと、算数・数学の勉強から培われるものですよね。
もちろん、一概には言えませんが。
私の一番苦手とするところです…。
もし、もう一度小学生中学生に戻れるなら算数・数学の勉強がんばりたいです。
すべての勉強には、それぞれに大切な意味・意義があるということですね。