園だより
2020.06.16
蓮
高田本山の蓮、満開前です。
満開もステキですが、今の状態もステキですヨ♪
時々ご紹介する金子みすゞさんの『蓮と鶏』という詩ですが、私はこの詩にいつも胸を打たれます。
泥のなかから蓮が咲く
それをするのは蓮じゃない
卵のなかから鶏が出る
それをするのは鶏じゃない
それに私は気がついた
それも私のせいじゃない
私たちは、自分の意志によって自分のいのちを、人生を、生きていると思いがちですが、
「生かされている」という視座に自分を置いたとき、生きているのは私の意志ではなく、あらゆるいのちのつながり、つまり「縁」によって、私はここに存在しているのだというとても仏教的なニュアンスを感じ取ることができます。
この詩の前では、「私の力によって」とか、能力、レベル、高い・低い、できる・できないという比較の世界は、自己中心的で滑稽な世界だとさえ思えてくるのです。
私を生きるということは、私ではないいのちによるものである…なんだか難しい話になってしまいますが、「ただただ、生かされている私」を、金子みすゞさんはこの詩で表現されたのではないかと、そう思うのです。
人生を生きるということは、ただただ、手を合わせて「ありがとう、ごめんなさい」の世界を生きることだと、私は師からからそう聞いてきたので、この詩にとても共感できるんですね。
それはまた、私が幼稚園生活の中で一番大切にしていることでもあります。