園だより
2020.12.02
きっと、覚悟なのです
ちょっと、語ります(by 園長)。
ほしいものがあって、二つのうちどちらにしようかなって迷っているときに、ふとインターネットを調べてみたら、二つどころかいっぱ~い選択肢が。
そうすると、どれがいいのかもう分からなくなっちゃいます。
そもそも本当にほしかったのかどうかさえ、分からなくなっちゃいます。
最後は意地になって、じゃぁこれもあれも…って、で、家に届いた品を見て、なんでこんなに買っちゃったんだろ~とか、これいらなかったかも~、別に必要じゃなかったかも~って、そもそもこれほしかったんだろうか~と、げんなりしてみたり。
本当は自分で選択したのか、誘導されたのか、本当の自分の気持ちはどうだったのか。
それさえ分からなくなるときが、あります。
きっと、自分にとって、情報が、多すぎるんです。
自分にとって必要のない情報が、あまりに多すぎるんです。
多すぎるのに、必要ないはずなのに、なぜかそれに頼っちゃっているんです。
自分で判断できなくなっちゃっているんです。
分からないことは分からない、
違うと思うことは違う、
嫌いと思ったら嫌い、
それでいいのに、
理解できない自分がおかしいとか、
嫌いだと思う自分はおかしいとか、
なぜかそう思おうとがんばっちゃうんですよね。
何か思いがあって、それを実現させるために必要なことは「自らの行動」のみだというシンプルな話も、情報に頼りすぎると結果なんだか複雑になるんですね。
「自らの行動」「自らの意志」「自らの選択」が無い状態で、誰かを頼っちゃうからなんです。
「自分は何をしたらいいのか」「自分はどうしたいのか」
それが無いのに、誰かに頼ったり、インターネット上にある無数の情報に頼っちゃうと、もうどれが何なのかよく分からなくなるんですよね。
自分の選択なのか、誰かの選択なのかさえも、分からなくなる。
「あの~、僕どうすれば幸せになれますか?」
「間違いのない人生を送るためには、どうすればいいですか?」
教えてくれる人も、確かにいます。
ご親切にどうも。
インターネットにも、答えはいっぱい書いてあります。
こりゃまたご親切にどうも。
でも、それでは残念ながら幸せになれないんです。
だってまず初めに「自分はこうするんだ!こうしたい!」という思い(柱)がなければ、どんな情報を得ても結局最後には何が何だか分からなくなって、以前よりもっと迷うことになるんですよね。
情報に踊らされちゃうだけで。
「正解」って、きっと人の数だけあるんですよね。
でも我々はなぜか、「正解は一つ」と思い込んでしまうところがある。
だから、自分にとって「ホントはなんか違うんだよね~」としっくりこなくても、その正解を信じようとがんばってしまう。
「誰かの正解」に、自分を当てはめようとしてしまうんです。
そして、やっぱりなんか違うな~、自分に合わないな~、自分にはできないな~って、最後には疲れてしまうんです。
がんばり過ぎちゃうから、最後は疲れて嫌になっちゃう。
必要なのは、きっと、「正解」じゃないんですよね。
だから、「自分の正解」を頑なに押し通したり、誰かに押しつけたりっていうことでもない。
きっと、「自分の選択を信じる心」「自分の選択に責任を持つ心」
つまり、「覚悟」なんだと思います。
人生=覚悟
自分で信じて、決めたことならば。
きっとそれで、大丈夫。
「自分はすごくない」「自分はダメ」「あの人はすごいけど、自分は違う」とかみんな言いますけどね、
そんなことないですよ。
「自分」って、本気出したら結構すごいんですよ。
以上、園長の語りでした。
長文くどくどと、ご勘弁ください(本当は反省していませんが)。