園だより
2021.01.15
ひとりごと
年末年始、「おとーちゃんが子どもの頃はねぇ」を何回言ったことか。
カードゲームであるとか、凧揚げであるとか、アスレチックであるとか、腕立て伏せであるとか、あれとかこれとか…
いよいよこの時が来たか…今こそ「俺の技を伝授する」ぞ!と。
こういうときの私はとにかく、前置きと理屈が長い(いつもか)。
ちょっとコツでも伝えて、あとはまぁ自分でやってみな~でいいのですが、「まずはお手本を見せるから、しっかり見ておきなさい」とか言っちゃうタイプなんです、ワタクシ。
で、びっくりしたのは「伝授」してから10分くらいはまぁ「うーん」とか「あー」とかやっているわけなんですが、少し経つと…まるで元からできていましたよ~とばかりにすっかりできちゃってるんですね。
しかも、師匠である私よりも上手に。
しかも、私がこねこねした理屈は、あまり役に立っていない感じで…。
一瞬うちの子天才!?と思いましたが、いやいや、子どもの力ってすごいんですよね。
専門家が「子どもはすごいんです!みんな天才!」とか言うのを聞くとなんとな~く半信半疑な私でしたが、これは本当のことですね。
なぜだか私は「大人の方が子どもよりも優れているに決まっている」と思い込んでいる節があるのですが、いやいや、子どもの方がすごいですよ。
そうなると私に残された武器は「経験」のみということになるのですが、その経験もあくまで主観ですからね。
そこにあるのは、自分に都合の良い理屈だったりするのですよ。
経験と知識を武器にしてしまうと、見えなくなるものがたくさんありますね。
経験と知識が「俺さま感」を出してくるので、真実を見逃してしまうことが多々あります。
こうなると、私が子どもにできることって何かなぁと考えさせられます。
教える?
導く?
幼稚園(幼児教育)の場合は、
一緒に考える
発見の喜びを共感する
しれ~っと、きっかけになる環境を用意する
大袈裟にならない感じで、でも心を込めて「おっ、すごいじゃん」と敬意を表する
などなど、他にもありそうですね。
人には人を変える力はない。
親でさえも、子どもを思い通りの形にすることはできない。
成長も、変化も、本人の中で何かをきっかけにしてビックバンを起こすわけなので、私の範疇を超えているんですよね。
できるとすれば、子どもたちが大きくなった時に「あぁ、大切にしてもらったなぁ」って、自分は誰かにとっての大切な存在なんだということを再確認して生きる力が湧くように、今、とにかく愛情いっぱいに接することなんでしょうかね。
もちろん、いつでも笑顔ではないですから(笑)
一緒に笑って一緒に泣いて、怒って、また一緒に笑って、思いっきりぶつかり合って。
そう言えば、中学校2年のときの担任の先生、大切にしてくれたなぁ。
「お前な~、ロックが好きって言うならドゥービーとかエアロ聴いてからにしろよ~」とか言ってたなぁ(笑)
中1のときの教育実習の先生は、ロックのアルバムをカセットでくれたなぁ。
ハイポジのテープ。
あのアルバム、後でCDで買って、今でも聴いているんですよ。
たまに「俺のことなんかみんなど~でもいいんだ~!」とか拗ねたりしますが(するんですか!?笑)、いえいえ、今までいっぱい大切にしてもらったじゃないですか。
忘れているだけですよ。
あれ?何の話でしたっけ?
※ドゥービー⇒ドゥービーブラザーズ
※エアロ⇒エアロスミス
※ハイポジ⇒ハイポジションのカセットテープ(音質がちょっとシャカシャカする)